金石城と清水山城【2020/3/22】
対馬国府厳原に築かれた、対照的な二つのお城
1.金石城
対馬の中心街厳原には、対馬国を治めた宗氏によっていくつか城が築かれました。
初めに金石城(金石屋形)。
津島藩主宗氏歴代の居城です。
城といっても陣屋のような造りですが、なかなか面白い遺構が残っています。
二階建ての櫓門自体とても珍しいのですが(現存は姫路城ぬノ門・水ノ五門)、こちらは姫路城のものと比べ特異な構造をしています。
姫路城は渡櫓が単に二階建てになっているだけですが、金石城の櫓門は、1階より2階が小さく、2階の妻側が正面を向いていて、門に二重櫓をそのまま載せたような構造をしています。天守代用としてこのような造りになったようです。
大正まで現存していましたが老朽化により解体。現在の櫓門は平成2年(1990年)に木造で復元されたものです。
城の南側には石垣と堀が残っています。
あまり本土では見ない積み方です。
厳原周辺で産出する石英斑岩を利用しています。
庭園は発掘調査に基づき整備されており、国名勝に指定されています。
万松院(宗氏菩提寺)
金石城の搦手脇には、宗氏菩提寺の万松院があります。
宗氏廟所は国指定史跡です。
桟原城
延宝6年(1678年)金石城に代わる新たな居城として築かれました。
写真の高麗門が移築現存しています。
城跡には石垣も残っていますが、跡地は現在陸上自衛隊対馬駐屯地となっているので、写真撮影はやめておきました。
2.清水山城
金石城の背後の清水山(標高208M)に、肥前名護屋城と朝鮮半島を結ぶ中継拠点として築かれた城です。
一の丸・二の丸・三の丸の3つの曲輪が尾根上に配置され、各曲輪が石垣によって接続されています。(さながら「登り石垣」といった感じ)
石垣がよく残り、国指定史跡となっています。
各曲輪間には、このような石垣列が尾根の両側に続いています。
一の丸の二の丸側の石垣は二重になっており、実質食い違い虎口となっています。
城の至る所に岩盤が露出しており、曲輪も平らな部分はほとんどありません。
まさに陣城という印象を受けます。
参考
旧金石城庭園パンフレット
清水山城パンフレット