諏訪原城【2020/2/23】
遠江攻略の拠点として、武田勝頼が馬場信房らに命じて、牧之原台地の東端、大井川に突き出た舌状台地の先端に築かせた城です。
城のすぐ南を旧東海道が通っていて、現在も江戸時代の石畳が残っています。
戦略的重要性がわかりますね。
10年前は城内は畑だったんですが。現在はガイダンス施設や駐車場が整備されて、見学しやすくなりました。
縄張りの特徴は、冒頭の写真のような丸馬出を多用している点です。
このように二曲輪には全部で6基の馬出が築かれています。
しかも北と南の虎口は、馬出を多重に配置しています。
現存しない大手外馬出を含めると7基の馬出がありました。
各曲輪の空堀もなかなかの規模でした。
本曲輪の空堀内には井戸が残っています。
感想
丸馬出を多用した武田氏の築城術を代表する城…
という評価が一般的でしたが、どうも二曲輪や大手曲輪を整備したのは、武田氏ではなく徳川氏という説も生まれています。
徳川家康は当城を攻略した後、城を「牧野城」と改称し、松平家忠・牧野康成を城代に任じていますが、その段階で本曲輪にあった馬出を潰し、新たに二曲輪と大手曲輪を整備したとする説です。
発掘調査では武田氏の遺物が見つかっていないことも、この説を補強しています。
実際のところはどうなのか。
いずれにしても、「続日本100名城」に相応しい遺構を堪能できました。