高天神城【2020/2/23】
「高天神を制するものは遠州を制す」
そう呼ばれた遠江の要衝です。
今回は横須賀城からバスを乗り継いでいきましたが、掛川駅からバスで行くのが一般的。
バス停は続日本100名城スタンプのある公民館前。
城の登り口までは、そこから徒歩20分程度です。
城の概要
歴史
駿遠国境に近く、以下のように武田・徳川家の間で争奪戦が繰り広げられました。
1571年(元亀2年)3月 武田信玄が攻めるも、本格的な攻城戦は行わず。
1574年(天正2年)5月~6月 武田勝頼が包囲、城主小笠原氏忠は降伏開城。
1578年(天正6年)~1581年(天正9年)3月22日 徳川家康が包囲・攻略(この間に横須賀城を始めとした付城を築く)、最終的に城代岡部長教は討死。
天正2年に武田勝頼が攻略するも、翌年の長篠の戦い以降は徳川家康の攻勢が強まり、遠江における武田氏の拠点は高天神城・小山城のみに。
高天神落城から1年後、武田氏も滅亡しました。
構造
標高132mの鶴翁山に築かれた山城ですが、「一城別郭」と呼ばれる構造をしています。
東西2つの峰にそれぞれ本丸・西の丸を中心とした独立性の高い曲輪群が築かれています。
東峰
大手口から登っていくと、最初に見えてくるのが三の丸・本丸等で構成された東側の曲輪群です。
横堀や堀切はあまり見られず、自然地形に頼った防御が目立ちます。
高天神城の三の丸。周囲には土塁が築かれています。
戦前に模擬天守が築かれていたそうです。
現在は基礎のみが残っています。
西峰
本丸から西の丸へは一度鞍部に降りて、もう一度登る必要があります。
鞍部には2か所井戸があり、北側には搦手道が伸びています。
西の丸には、「高天神城」の名前の由来となった高天神社があります。
鶴翁山は北・東・南は急峻な崖ですが、西側は比較的緩やかな斜面であり、背後の山地と尾根で接続していて防衛上の弱点となっています。
このため西の丸周辺は、本丸と比べると堀切等の防御設備を盛り込んだ技巧的な縄張りが見られます。
馬場からは遠州灘を一望できます。
高天神城落城を武田勝頼に伝えるため、軍監横田尹松がこの細い尾根道を通って脱出したそうです。
現在はハイキングコースとなっていて、誰でも通れます。
西の丸北に延びる尾根に築かれた・井楼曲輪・堂の尾曲輪・馬出曲輪が場内で最も技巧的な部分になります。
山城ながら横堀を設け、尾根先端部ではその外側に堀切を設けて、実質二重の堀切としています。
各曲輪同士も堀切でしっかり区画されています。
城の西側への防備をかなり意識した構造ですね。
感想
堅固な山城として有名ですが、意外と比高がないなというのが最初の印象
実際のところ比高は100mほどなので、山城としては低い方ですね。
しかし急峻な地形を生かしながら、堀切・横堀を上手く組み合わせて守っています。
徳川・武田の猛攻に耐えたのも納得。
参考