対馬要塞
対馬では2か所の要塞を見学してきました。
↓は豊砲台を真下からスマフォで撮影したもの。
豊砲台
対馬2日目
最初に訪れたのが豊砲台です。
厳原からは車で北上すること2時間弱。
対馬は南北に細長い島ですが、端まで行くとやっぱり遠いですね。
壱岐の黒崎砲台と同様に、ワシントン海軍軍縮条約で建造中止となった戦艦土佐あるいは巡洋戦艦赤城の41㎝主砲が転用され、1929年(昭和4年)に建造されました。
コンクリート表面に石が埋め込まれていたり、微妙に色がついていたりしますが、これは迷彩でしょう。
まだ残っているのがスゴい!
入口にあるスイッチを押すと30分間照明が点灯するので、見学は楽です。
崩れかかって鉄筋がむき出しになったコンクリートがイイですね。
主動力機室
手前に見えるコンクリートの台座に、100馬力のディーゼルエンジンが置かれていました。
砲台二階は倉庫でした。
1945年(昭和20年)10月、米軍の爆破班により解体されましたが、コンクリート構造物は完全には爆破・解体できなかったようです。
砲塔内部がボロボロなのは爆破の影響かな?
姫神山砲台
旅の最後に訪れたのが姫神山砲台
こちらは日露戦争前の1901年(明治34年)に、敵艦が万関瀬戸(海軍が開削した運河)を通り浅茅湾へ侵入することを阻止するため建造されました。
浅茅湾には当時海軍の基地(竹敷要港部)が置かれており、浅茅湾周辺には本砲台以外にも多数の要塞が築かれました。
麓の緒方集落に車を止めて、舗装された山道を40分ほど歩きます。
「天空の要塞」として売り出しているみたい。
一応山頂近くまで車で行けなくもないですが、待避所がないので対向車が来たら終了。
おとなしく麓に止めましょう。
豊砲台とは異なり、明治期らしく建材は赤レンガと石材です。
「棲息掩蔽部」とは兵舎・弾薬庫・砲具庫等に使われた施設だそうです。
本砲台には日露戦争中の旅順要塞攻囲戦や奉天会戦での活躍で有名な、28センチ榴弾砲が2門×3基の計6門配備されていました。
指揮所と観測所は砲台の両脇にそれぞれ一基築かれていました。
観測所は円形の鉄製屋根で覆われ、中央の丸い赤煉瓦の上には観測機器が置かれていました。
参考
世界最大級の巨砲 豊砲台|城・砲台|モデルコース|一般社団法人 対馬観光物産協会
天空の要塞 姫神山砲台|城・砲台|モデルコース|一般社団法人 対馬観光物産協会